空箱を積み重ねて

読んでも特に利益に繋がりません。普通って大変。

続けることが一番大事マンブラザーズ

私の同期は努めて3年目になるのか…皆本当によく頑張っているね。SNSを見ていると以前に比べ楽しそうな写真が上がっているのを見て「仕事が軌道に乗ってきたんだな」と尊敬します。怒られても、気持ちを切り替えてこつこつと仕事に取り組んでいるんだなと考えさせられます。

 

先日、就労支援に通って参りました。「平成最後に就労支援か…」と億劫になっていましたがまだ平成だったんですね。ともあれ、これを機に多少苦しいですが「新しいスタート」に立ったと思って少しでも自信を持てるように、正社員で普通に働いていけるよう地道ですが頑張ろうと思います。「就労支援なんて嘘っぱちだ。」なんて最初はかなり抵抗がありましたが、家族や友人以外の誰かに相談することで気がとても楽になりました。就職後は上司ガチャの結果を気にせず、(自分の周囲の人って自分の姿を映す鏡って言いますしね…)地に足を着けて、自立して働けるようになりたいです。          

 

前にも書いてたら申し訳ないのですが正直、就職前から会社で働くことに対して大きな不安がありました。アルバイト経験を通じて圧倒的に仕事ができないという事が周囲と比較して明らかになっていたので。普通の人が1回で理解できる指示を私は恐らく2~3倍以上かけて聞いてようやく理解するレベルです。メモを取らなくても一発で理解できる同期、メモを必死で取る姿をさらす私。さらにメモを取って見返しても理解できてないときも度々あり「メモ取る意味ないじゃん」と言われたり、自身でも思ったのでメモする努力をしなくなりました。多分、言われたことが大きいと思います。

 

それでも、何とか就職活動をこなして大学の紹介で入社しましたが漠然とした不安とやはり周囲の出来の良さから劣等感を抱いてました。ミスをしては怒られては落ち込みを引きずることがあり、それを見かねた他の方が「怒られる事=期待」と言われ続けたので、感情で受け止めないよう言葉だけを受けるようにしました。ですが、上の方はミス連発の私に対して当たりはきつくなりますよね。怒られないようにするには何もしないことだと考えました。私も次第に「私は普通のことが出来ない」と考えるようになり気づいたら電車を見てふと「飛び降りようかな」とか一人暮らししていたお風呂場をふと想像して「手首を切ってお風呂に入ろう」と想像したり、仕事をしててもふと涙がでてきたりと今まで経験したことのない事態が襲ってきたので会社を辞め実家へ逃げました。

このようなことをいまさら書くのは会社にこんなひどい仕打ちをされたっていう事を書きたい訳ではありません。むしろ私は会社に「損害」を与えた最悪の人材です。こうして、自身の紙媒体でなくネットに書き込むのはわずかな共感と慰められている感覚を一方的に感じたいからなんですよ。

 

今後はカッコ悪い、あいつは頭が悪いと思われる姿をさらしても、「無駄だ」と言われても今度はキャリアというものを築き上げていきたいです。上の方に止められた「家に持ち帰って会社の復習」も行いたいです。人よりどんなに遅くなっても、馬鹿にされても、怒られてもへこたれないで明るく、専門家に愚痴を聞いもらって頑張りたいと思います。

 

戦いはまだまだ続くよ、喪女

無能の喪女―平成無職惰性譚―高校生編①

4月入社できませんでした。やっぱり、就職に対し恐怖心があります。

職務経験のなかで成功したことなんて1度もなく、「普通のことが出来ない」

という消えない事実がこびりついてしまいました。なにより、精神的に

「正社員頑張れる期」「働きたくない期」の波が大きいのも大変ですね。

今は前者なので何とかハローワ〇クへ通える気力はあります。

もう、負けを認めて通院しようか検討しています。そんな状況です。

 

さて、何だかんだで小娘の人生も折り返しになりました。

高校は少し遠いところへ通い、ほぼ社会人のようなスケジュールをこなし

さぼり癖、勉強に対する重要性を欠いていた時期でもあります。ここ本当に分かれ目

でも、色々分岐点がありますがあの時あの人がいなければ…っていう事もでますね。

 

①生まれ変わろう、楽しい学生生活を…!

 地元から少し離れた学校ですが、同じ中学から知り合いの子も一緒に行くことを

 入学ギリギリで知りました。その子は見た目も可愛くthe・JYOSHI(女子)…

 美容とか、可愛いものが大好きで私とは真逆の子ですがとても律儀で優しい子

 でした。(以下:女子ちゃん)一人でいるよりもとてもとても心強いです。

 中高一貫の為中学校一貫の子、高校からから来た子同士で固まっていました。

 クラスは女子ちゃんと離れてしまい、完全にボッチ。私は中学時代の学習から

 「多数組に、数を増やさないと」と焦っていました。そこで、最初はボッチの

 子に話しかけました。(以下:ボチ子)同類は声を掛けやすいので。(ヒドイ)

 しかし、そいつがまぁ厄介なことをしてくれました。

 数日後、学校に成れた為ボチ子は私から離れてクラスの中心グループへいきました。

 そこまではいいんですがボチ子は「私がつまらない奴」とクラス中に言いふらしてい

 たんですね。まぁ、実際につまらなかったんですけどね。(笑)

 コミュ障、頑張ったのに…それから、教室入るの怖くなりましたね。

 なんだか無視されたり、こっち見て笑われたり視線が痛くて…

 それでふと思ったのが「小ちゃんもこんな気分だったのかな」なんて思いました。

 6月で転校も考えました。そして、まさかの転ちゃんに相談メールもしました。

 精神的にしんどい思いをしましたが、同じクラスのお嬢さま(以下:嬢ちゃん)と

 仲良くなりました。それを機に精神的ゆとりを持つ事が出来ました。ありがとう

 嬢ちゃん。今思うと、どこか冷めてて大人な子だったからこそ私はすごく

 頼れたんですよ。緩すぎずきつすぎず一年間いてくれてありがとうございます。

 

今回は、これまでにしようと思います。かなり手抜き感が否めませんが

長く書きすぎるとブログの更新率が低くなりそうなので…

そうなると「ブログすら続かない私はクズだ。SCUMだ。。。」と落ち込みそうなので

そばのように続けていきたいですね。うん、そば。 

無能の喪女―平成無職惰性譚―中学校編④

個人的に思い返してもなかなか思い出せる事が少なくなってきたので

中学校もそろそろ終わりにしていきましょう。

 

実は、大分前に転ちゃんと同級生(以下:同君)の3人で飲みに行きました。

転ちゃんと同くんの趣味について話したいとのことでしたが、

転ちゃんが1人だと少し不安と言っていたので

私も参加しました。当日までビクビクしっぱなしでした…

卒業後、同じ部活動の子や部活以外でも接してくれた友人達とは

絶対仲良くしようと思いましが、

それ以外の人たちは部活カースト底辺という理由で傷つけられたりしたので、

「影が薄かった私の事を忘れている。他人の振りをしよう」と決心していました。

しかし、同くんは基本私は嫌なことはされておらずさらに会話をしたことありません。

ちなみに転ちゃんも同じです。        なんで「よし、飲もう」ってなったの笑

会って話してみると、同くんの同級生の情報収集力に脱帽しました。

中学校の事を話したり、卒業後の同級生の様子等たくさん聞き、

私の知らない8年間があったことを知りました。

     結果として、この機会のお陰で地元恐怖症がよくなりました。

まだ、気がかりなことはありますが少し前を向いて頑張れるきっかけになりました。

されたこと、やってしまった事に対してどう償ってほしいか、償うべきか考えても

両者とも大変悔しく悲しい話ですがやった本人が意識的、無自覚にしろ

どうしようもないことなんですよね…両者ともグレーな範囲ですよね…

でも、私は後者は忘れたくないし同じような場面でも八方美人と言われようが

常識を持って上手く立ち回れるようになりたいと考えています。

もし、どこかで小ちゃんがいたら挨拶をしてちょっと話して「あの時はごめんね」と

言いたいです。会えなくても、少なくとも私より幸せになっていることを祈ります。

こういったグレーな所から一生ものの傷を負って生きている人って意外と

いるんじゃないかなぁ…  早く解放されることを祈ります。

 

さて、まとめよりの前置きが長くなりましたが思い返しましょう。

 

①大事な大事な高校入試チャンス

 ①-1 消去法で決めた進路先

 これは、私が現実逃避をするきっけかの大きな要因だと思います。

 中3となれば受験ですよね。私の受けようとした高校は近くて、兄の目指していた

 地元の高校に行こうと考えていました。

 転ちゃんは、受験と共に地方への引っ越す為地方の高校へ進学しました。

 小ちゃんは、私達のグループとは違い意識高い頭のいい子達と一緒に

 いるようになりました。

 私の志望していた高校の過去問題を解いてみるとまぁ難しい!!

 ものの数ページで「この高校を諦めよう!」と決意しました。そして、

 推薦で入れる高校にしました。1つは家からすごく近かったのですが

 同級生がわんさかいるので辞め、もう1つは、少し遠いのですが同級生が殆どおらず

 従弟がいても1年でおさらばなのでそこに進学しました。

 学校も決まり安心しまくりの私は、好きなことばかりやっていました。

 推薦だったとしても春休み中勉強をしておけばよかったと後悔するのは

 数か月後になるんですけどね…

 

 ①-2 乏しい知識で考えた未来

  将来何になりたいか全く考えていなかったのですが、小~中学校にかけては

  なりたいものが沢山ありました。

  1つ目は「イラストレーター」ですが、

  「絵で食べていくのは厳しい」という将来性と安定面、さらに

  某イラストサイトを閲覧中「同い年で私より上手い人ごろごろいるやん!」という

  技量とセンスと現実を目の当たりにしたので趣味の範囲で収めようと決めました。

  2つ目は「獣医」です。

  動物を飼っていた影響もあり「動物に関わる仕事ができれば」と考えていました。

  これも「責任重そう」「ポンコツが命扱うとか考えられへん」「医者系って

  理系じゃないとなれないしな」と考え諦めました。

  今思うと、勉強してから言えよ!!!って怒りたくなります。

 

②新しい私になろう。過去をなかったことに

 高校進学と共に私はイラスト部の嫌な記憶は忘れようと考えました。

 高校からは転ちゃんに縛られないし、私の事を知らない人が多いから

 もっと楽しい学生生活を過ごそう。運動部だとカーストの上位に入れそうだから

 運動部に入ろう。そして、文化部の子とも仲良くしてもっと楽しく…

 なんてうつつを抜かしていました。

 でも、高校1年目からまたも私にとっては波乱万丈でした…  ひぇ~

 

これを読んでいると「何この人いい年して『私、可哀そうでしょ!?慰めてよ』

アピールかよ。」って感じる方いるかもしれませんね。正直少し同情して欲しいです。

そう仰っている方も少なからず傷つき、誰かを傷つけているのでそう思うのも

仕方ありません。ですが、一番は

「私、どこがおかしいの!?言ってよ!?」という気持ちが大きいです。

普通になりたいので…  

 次からは高校生編ですね。カーストからの呪縛は解き放たれますが自身の知恵遅れ具合と部活の男子に対する嫌悪感が増します。これで男性に対してはっきり線引きする癖がついてしまいましたね…       人を区別するって何様目線だよ…

 山あり谷あり、がおった時こそ明るくだよ。喪女

無能の喪女―平成無職惰性譚―中学校編③

トレンチコートが売れやすい、欲しい時期になりましたね。

春物アウターの進化すごいですね。某ファッションブランドから

ロング丈のデニムジャケット(デニムコート?)が出て、

ショート丈のトレンチコート(トレンチジャケット?)が店頭に並んでました。

丈が短くなったり長くなったりする中、次はどんな素材が伸び縮みするのか予想しました。わたしは「レザー」と見ております… お値段高そう…

 

今回も振り返るのですが、正直中学校は嫌な記憶は残っているのですが学年毎に何が起こったか明確に覚えていませんね…なので、嫌な記憶とそれに付随して思い出したいい記憶を書いていこうと思います。

 

①地獄の教室

 ①-1 小ちゃんごめんよ

  中学生あたりになるとどこかのタイミングで転ちゃんと小学校から仲の良かった

  小ちゃんと同じクラスになりました。私にとって結構しんどい時期だったかなぁ…

  スキー教室で小ちゃんは上手に滑れないことで泣いてしまい、それを見た

  転ちゃんが怒っていました。また、テストの点数で小ちゃんが転ちゃんより

  点数が悪いと知って泣いてしまい、それに転ちゃんが怒って私を味方にしようと

  したりと今思い返すと苦しいですね…。私は勢力の大きい側に付くしか

  できなかったので転ちゃん側についてしまいました。転ちゃんは上記の事を

  「馬鹿にされた」「ちょっとしたことで泣きやがって」と感じたことを

  イラスト部の皆に言いふらしたので、それだけ聞いていたらイラスト部は

  転ちゃん側に立ちますよね…。私は「え!?そんなことで」と思いました。

  けど、転ちゃんからしたら相当なことなんでしょうね…

  結局、情報に流され、私を含んだイラスト部の皆で

  小ちゃんと深く関わらないようになりました。いわるゆ疎遠です。

  この時、転ちゃんと小ちゃんも退部してイラスト部に入部していました。

  正直、転ちゃん側に立って何もしなかったことは今でも引きずってたりします。

  会えるなら謝罪をしたいです。でも、小ちゃんの性格的に謝られても

 「自分が楽になりたいからでしょ」とか思っていそうだなぁ… 

  どこにいるかも分からない相手の事を引きずって馬鹿だなぁとおもいますよ。

  でも、この気持ちを昇華させるにはこの方法しか思いつかないんですよ…

 

 ①-2 わたし、何か悪いこと言った?

  そういえば、席替えの時に男子から「あいつ(私の名前)の隣は嫌だつまらない」

  と言われた記憶があります。すっっっっっっごい嫌な気持ちになりました。

  記憶が正しければその人に私はその人に悪いこと1つもしていないのに

  言われてました。すごいショックでしたね…。

  後、小学校の頃に仲良かった男子とも全く話さなくなりましたね。

  それどころか悪口を言われる始末。意味が分かりません。共通の話題が無くなった

  からですかね…。人間ってこわい。

  それと同時にますます男嫌いが進みほとんど男子とは話さなくなりました。

 

②合唱コンコールのピアノ伴奏に立候補するも…

 合唱コンクールのピアノには2年生まで立候補していました。

 これも兄の影響ですね。目立ちたがり屋なんですよ。ただその手段としてピアノ

 の伴奏をやってみようといった感じかもしれません。

 ちょこちょことミスをしては、合唱の人から色々と言われてしまい

 「やるんじゃなかったなぁ」と思いながらもこつこつピアノに向かっていました。

 ただ、気に入らなかったのはスクールカーストやや上の子が失敗しても

 「大丈夫だよ」とか声を掛けるんですよね。わたしはそんなこと

 言われませんでしたね。仲が良かった頃ですが、唯一、転ちゃんと小ちゃんや

 イラスト部の皆が励ましてくれたのが本当に支えになりました。

 当日は、前の伴奏者の汗が気になりましたがミスなく終えましたので良かったです。

 これのお陰か、心臓に産毛とところどころ太い毛が生えたような気がします。

  あ、今でも地元の一部の人は大大大嫌いですが、地元の環境は好きですよ。

  あぁ、また過去の事を蒸し返した…

 

③アニメの沼にはまる

 まぁ、イラスト部+ニコ厨となればアニメオタクまっしぐらですよね。

 アニメは暗くて、嫌な日常から引っ張り上げてくれますからね。

 ボーカロ〇ドや東〇もすごく好きでした。小ちゃんは別の部活でしたが転部?を

 私より先にしていました。「アニメの事を話すしても、ちゃんと理解してくれる

 人がいるなんて…」と感動して帰宅していたのを思い出します。

 小ちゃんは深夜アニメにドはまりしていました。コード〇アスやひぐらし〇なく頃に

 等ディープなものに、私は深夜っこではなかったので見ていません。

 完全にアニメ離れはできていませんが中学校の時よりイラストを描く頻度、アニメを

 見る時間もだいぶ減りました。大人になった?のかな?いや、なってないね。

 

……今回は振り返りよりも愚痴の要素が多くなってしまいました。

過去を振り返っても仕方ないのですが、怒りがふつふつと沸き上がってきますね…

言い返せなかったことやあの狭い社会で常にビクビクしながら生活したこと。

自分がされて嫌なことが来た際に対処できなかったことが悔しいですね。

それと自分に何か悪いことがあるのなら「ごめん、私なんか悪いことした?」

って聞き返せれば良かったなぁ…気が弱いせいか、ただただ耐えるばかりでした。

それと基本、嫌なことは受け流せるんですが、何か引っかかたとたんかなり根に持つ性格なんだと思いました。メンドクサイ人なんですね…。

 

23年間生まれて、染みついてしまったこの性格って治るのでしょうか…

治せるなら治したいです。でも、苦しいんだろうな…馬鹿にされるんだろうな...

なんて、考えるからますます人と接したくなくなるんですよね。あぁ、暗い暗い…

とりあえず、明日は今日より良くなるように願う!動く!それしかない!

キープザフェイスだよ。喪女

 

 

無能の喪女―平成無職惰性譚―中学校編②

何年か前に流行した花粉症に効く飲む乳酸菌飲料「L-92 」を飲み始めたものの

「これってすぐに効果でないから何か月か前に飲むやつだ…」と気づき結局花粉に悩まされる喪女です。花粉もすごいですが、アトピー(軽度)やらダニもすごいので

時期によってアレルギー反応が出るんですよね。

春は花粉により鼻水が止まらず、夏は汗でかゆみが出て、

秋も花粉で鼻水がでて、冬は乾燥肌で顔の一部が荒れる。

風景以外でも四季をかんじることができます。……せめて夏と冬どうにかしたい…

さて、今回も振り返っていきましょう。

 

①楽しい?楽しい??イラストレーション部

 ハンドボールを辞めて美術部は名ばかりのイラストレーション部に入部しました。

 好きなことばっかり、謎のノリになったりして放課後は毎日楽しい時はありました。

 今思うと、私は何故こんなにいじられるんだろう…とか思っていたのですが

 今が楽しければいいし、ここしか居場所がなかったのでもやもやとしながらも

 毎日を過ごしました。学校とかっていかに自分の居場所を確保できるか重要に

 なりますよね…

 

②どこかおかしい私の人への接し方

 私は学生時代の大半を「特定の子」としか関係を作っていなかったので

 他人から見たら変な接し方をしていたと思います。

 転ちゃんとは相変わらず仲良かったので、ずっとくっついていました。私きもいね。

 「特定の子」が誰かといると会話に入れるのですがいなくなると途端に黙ります。

 愛想笑いとかするんですが、積極的に参加はしなかったんですね。

 なので、一人になる瞬間が一番怖かったですね。どう振る舞えばいいのか

 多分、いつものテンションで行けばみんな引くのわかるので…

 共通の話題がないと全く会話しない嫌な女でした。

 基本誰かとくっついていてることで強くなった気がしていました。

 

③勉強を適当にながす

 美術部に入ってからイラストを描いたりPCをしたりと散々でした。

 勉強は平均より上だったので良かったのですが…。ここで安心したのが

 大失敗ですね。楽しながら努力することを覚えてしまいましたね。

 勉強法も工夫無くひたすら暗記したり、まとめ直してみたり、手間がかかる

 作業ばかり行いました。効率を考えていなかったんですね…。次第に

 勉強が面倒だ、苦痛だと思うようになりほどほど遊びを入れながら努力をする

 ようなり、結果が微妙でも「まぁ、遊んでたし」と無理矢理正当化していった

 そのような気がします…。普通より少し上で満足してしまいましたね…。

 やるなら徹底してやるべきでしたね…。

 

今回は、共通性はありませんが

特徴としてのダメな自分を肯定する。ではなく、

無駄のある自分を肯定してしまったことで自己管理能力が欠けて諦め癖がつきました。

これは、あと数年で迎える受験戦争に対して勉強以前に大事なことだと大人になって気づきました。

そして、良くも悪くも人と同化している自分で、「周囲の期待に添ったキャラ」が出来たのではないかと思います...。自分が耐えればいいんだ、と思っていました。

 

あ、ふと今思い出したことが1つありました。小学校の頃、唯一私が友達に対して本音を伝えたことがありました。

昔、転ちゃんが私の事を好きか嫌いか聞かれたことがありまして。

私は、ここで嘘をつくのは良くないと思い正直に「あまり好きでない」と答えたところ

泣いてしまい、お母さまが何故か私を説得して「今後も仲良くして」と言われたことがありました。「相手が不快にならないことをしていたのに転ちゃんは私に嫌なことをし、 私が不快な思いをしているのに「何故私が?」」って思いました。母親まで使って卑怯だなとつくづく思いました。

 

……私だけですかね、こんな感情を抱いて小中学校過ごしているのって…悲しすぎる。

実は意外と勉強もスポーツも出来るあの子、悩んでなさそうなあの子も実は何かしら思いながら学生生活を過ごしていたのかなぁ…

人間関係って本当に複雑ですね。

無能の喪女―平成無職惰性譚―中学校編①

失敗したくないという強い気持ちが強い無職です。

最近気づくことは、チャンスは落ちているけど、それをうまく利用できるか

っていうのも大切だななんて思います。掴んだ先何をしたいのか、

どうあり続けたいか、軌道修正しながら自分の理想へ近づけていけるといいな。

言葉で理解していても理解=行動できることって数少ないですよね…

……いや、私が頭悪くて頑固なだけか…

ハロー〇ークの職業相談員の方ともお話をしていくと

「好きなことを仕事に!?無責任なこと言いやがって」

とか先日思ってしまったのですが、

今がとても恵まれていて素敵な時代だから言える事なんですよね

最近「若者」の枠も広がっていて驚きました。時代ってすごいね…

多分、大企業勤めの方とかいい意味でご縁のない世界ではありますけどね…

仕事を通じて得るものって

好きなことを我慢して競争を勝ち抜い続けてきた人はお金と地位で、

好きなことで真面目に頑張ってきた人は気持ちで成果が表れるんですね。

          私はどっちがよかったのかなぁ…

 

さて、本題に入りましょう。中学時代は地元に散らばっている小学校が

中学に集結していく感じでした。中学校で初めましての子、いつもの子が半分くらい

混ざっていましたね。ここで元〇〇小と△△小で派閥出来るか?と思っていましたが

周囲の人は溶け込めていましたね。ここでコミュ力というか、社交性が出てきますね。

 

①部活変更をした。

 私は、最初は美術部に入部しようか迷っていました。仲の良い子が入りますし。

 けれども、何故か運動部に入部しました。本当に理由が思い出せません…

              あ、消去法かな?

 人見知りでどことなく人に対して恐怖心があったので極力関わりたくない人のいる

 部活には入部しないようにしていました。く、クズぅ・・

 子の謎の判断基準は恐らく過去に、実際に接してみて

 その人に対していい思い出がないっていからというのが影響してますね。

 特に女子に対してが強いですねこれは。男子より交流はありましたし、

 ついでに遊んでいて関わっていったこの時期に植え付けてはいけない感覚ですね。

 そして、3カ月のスピード退部!すごい…忍耐がなさすぎる…!

 その理由は、お金、人間、習い事ですね。

 何か始めるのってお金かかりますし、継続も大変ですよね。靴、ユニフォーム

 遠征費用等で親に苦労掛けたくないと感じていました。本当です。

 人間関係は、今思い返すと人の経験値が少なすぎる事が原因です。

 趣味で繋がっていること接していたの、趣味のないこと話すと色々な話題が

 飛んでくるんですけど、それに対応しきれ無いので話についていけず、楽しくないと

 感じるようになっていました。……世間を知るのが遅いですね…

 その理由に加え苦手な従弟が所属していました。

 後は、両立が出来なかったととですね。

 勉強を中心にピアも絵も部活も続けることは相当大変・・・・ですよね?

 なので、お金もかかるし人も怖いハンドボール部を辞めました。

 一緒に入部した転ちゃんを置いて……相談もしませんでした。

 私は美術部というよりアニメ研究会に所属して楽しい放課後を過ごしました。

 ちゃんと美術しろよ!!!だから絵画が下手糞なんだ!!…気づても時すでに遅し

 

②勉強意識高い系の友ができる

 ピアノ繋がり(ピアノ君)と元々仲の良かった子(E子ちゃん)

 が勉強で競い合うことを行っていました。

 口に出さないものの傍観者として私も競争に参加していました。

 「あ、ピアノ君に点数負けた。あ、E子にギリギリ勝てた。」といった具合に。

 点数で負けると「馬鹿かよ、もっとやれよ」「負け惜しみ」

 とか言い合う2人を見て、「レベル高いな」と思っていた半面、

 勝負の土俵に立つことで自分が傷つくのがすごく怖かったです。

 あと、勝者が負けた人にいう言葉がすごく嫌でした。

 負けじと食らいついていくE子ちゃんは本当に偉いと思います。

 今は美人で、キャリアウーマン女子で頑張っている姿をSNS上で見ます。

 

う~ん、中々思い出せませんが。中学1年生の心情変化や出来事はこんな感じですね。

社会人に置き換えるとなかなかクズいですね…楽をしたい気満々じゃないですかぁ!

書いていくうちに、転ちゃんから「逃げたい」っていう気持ちがあったなぁとふと甦りました。この子を通じて私の意志の弱さから多くの友人を傷つけていたような記憶があります。自分が有利な立場でいたい、楽しい環境を保ちたいから気になっていませんでした。自分ばかりが傷ついているわけでないんですよね。

…依存するしかなかった…。転ちゃんも大概ですが私も大概です。

まさに、類は友を呼ぶ。納得ですね。

 

その後、スクールカーストに悩まされ、転ちゃんからの無視等から、環境と

自分の本質をより根掘り葉掘り考えていきます。

人間、染みついた汚れってなかなか落ちないですよね。

健全になれるよう前へ前へ歩んでいきましょう。反省しろ、喪女。

 

無能の喪女―平成無職惰性譚―小学生編⑤

過去編に始まる前に、昨日大学の頃のゼミ同期で友達でる友人とお食事に行きました。

やはり、最初は気分が乗らないですけど、人に会わないと心がかなり沈むので

行きました。友人は元気そうで、実は大学の頃人間関係にそれほど満足していない事、私の知らないところでいざこざがあったことなど…まわりが見えなてないんですね…

過去を振り返っても仕方ないけど、振り返ってみると

人間関係ってあまり気にしない方が幸せだったりするんだと思いました。

鈍感力、重要ですね。

 

 

さて、過去を振り返っていきましょう。

小学校編はそろそろ終わりですね。

進級して5,6年生になり将来の事など考えずひたすらゲーム、友達と遊ぶこと

ばっかりしていました。まぁ。普通の小学生はそうですよね。特に学校内で

目立ったこともせずといった感じですかね。

 

①漫画、ゲームを通じて異性と仲良くなれた

 嫌がらせを受けもやもやした気持ちを誤魔化しながらもなんとか共通の趣味を通じて

 男の子と仲良く慣れました。ゲームをしたり漫画の話をしたり。

 「この人たちは大丈夫だ」っていう認識もありました。

 

②合唱発表会でピアノの伴奏をやってみる

 お母さん、あんたの娘学内規模だけどピアノの演奏してるよ。

 演奏中は緊張と手汗の事で頭がいっぱいでした。

 多分注目浴びるのが好きだったんでしょうね。自分のスキルとい「自信」

 があったので。

 

・・・・本当に印象があまりなです

それくらい平和だったんですよね。いいことだ。

ただ、それが壊れるのが中学校の時ですね。今まで仲いい子が敵に回ったり

疎遠になったりしてかなり驚いた時期でもあります。さらに、スクールカースト

やなぜか嫌がらせのターゲットにされて大変不快な時期にもなります。

大衆側に付く、コバンザメのような情けない過ごし方をします。

 

ここまでまとめると、小学校の私の性格はとっても「内向的でおとなしい子」

ですね。人に流されやすいってのもあります。

そう考えると、日本の人付き合い文化とか大分変ったなぁ、なんて思います。

団結→個人の尊重って相当な変化ですよ。世間的常識って自分が思っているより

相当早いスピードで変わるんですね。この波に乗る事も大事ですね。

 

さて、今日はこんな感じですかね。明日から中学校を振り返りましょう。

ハローワークさんに相談して、自分の人生の目的を考えて

苦しいし、きついけど努力と勉強を頑張って幸せを見つけよう。

安定と好きなことのバランスって大変ね。。。