無能の喪女―平成無職惰性譚―高校編③
「平成最後商戦」が終わり令和を迎え、気持ちの高まりや感動も全くありません。けれども何かに対して、100円ジッポぐらいですはありますが闘志に火が着いたような気がする喪女です。この火はどこまで燃え続ける事ができるか不安ですが…
高校1年生の頃、中途半端なちょっかいやら無視のせいで(これが原因だと断定できませんが)精神的にもやや不安定で将来の事なんて微塵も考えていませんでした。「気の合う人といること」「スクールカーストの底辺から逃げる」ことが最優先順位となり、「今を楽しく生きたい」と強く願い、私の本当の高校生活が始まったような気がしました。
①部活動選び
①-1.高校一年生
私は、中学校生活から「運動部ならばカースト底辺は逃げられる」と考えていまし
た。運動部も色々ありましたがどこもしっくりこない上に、中学校から所属してる
子ばかりなので初心者の私はとても入れるような環境ではありませんでした。
しかし、同じクラスの女の子の(以下:A容姿ちゃん)お陰で無事、運動部に
入部することが出来ました。また、同じクラスで私と初心者で入った女の子
(以下:メガネちゃん)もいたので気軽に入部しました。二人ともいい子で
真面目でいい意味で不器用な子だったのでどことなく似た者同士で話が通じ合い
打ち解けることが出来ました。けれども、運動部の備品、遠征費等の両親への
金銭的負担がありました。しかし、クラスで無視されていることを母に伝えていた
こと、私の「やってみたい」という気持ちを尊重し、入部する事を渋々許してくれ
ました。
事情を知らずに私は部活動に取り組みました。やや男子の方が権力が強い傾向のあ
る部でしたね。休憩の間にダッシュでお茶を先輩方に渡したり、夏場の練習中
「あ、これ倒れる。」と自己判断・申告をし、少し休んでいたらかなり怒鳴られ
たりと嫌なこと、辛いことがありましたが2人がいてくれたので乗り切れました。
いつもいてくれる人って本当にありがたい…
②流れが変わったような…
運動部に入部した後、嬢ちゃんと勉強やくだらない話をして過ごしました。
A容姿ちゃんとメガネちゃんは別グループに属していたのでどことなくクラスで話す
ことは少ししかありませんでした。放課後は部活ではA容姿ちゃんとメガネちゃんと
話すことが多くなりました。特にメガネちゃんとはアニメ、漫画で趣味の話がよく合
いかなり仲良くなりました。徐々に私と嬢ちゃんが話している所にA容姿ちゃんや
メガネちゃんが来たり、ボッチ飯になりかけると助けてもらったり、助けたりする
ようになりました。メガネちゃん、嬢ちゃんの友人を紹介してもらったり、
紹介したりで友人の輪が広がりました。部活も帰宅部で趣味に没頭している子や
全国大会に出場するくらいの運動部に所属している子や他のクラスの事も仲良く
なれました。やそれと同時に人の噂も七十五日効果?それよりも友のお陰で心が強く
なったのか以前まで感じていたクラスメイトからの嫌な視線や疎外感を気にしなく
なりました。いい意味で本当のカースト上位の人達を気にせず伸び伸びとできたので
は?と思っています。
今日はここまでにしておきましょう。GWだからって夜更かしは厳禁ですね。
クラス内事情から、「スクールカースト」を意識しすぎて、「この状況を抜け出す」ことにだけ専念していました。しかし、よく冷静になれば文化部でも運動部の人と平気に接している子がいて、背景に「進学してきた人達同士」か単純に「気が合う合わないか」だけなんですよね。そう考えると私は数少ない気が合う人達と部活の垣根を越えて偶然巡り合えたんですよね。そのお陰か、キラキラカーストにはない面白い考えを持った子や自分がわざわざ偽る必要のない人間関係を築けていたんですよ。これが高校生活の唯一の成功かもしれません。
そして、部活事情。大人になり母と話していくうちに分かったことですが、先生や母は私が運動部に入部する事をあまりよく思っていなかったのです。これには驚きました。
やっぱり、精神的に参るとまともな判断ができないなぁ…
こう書くと「部活動入ったの失敗だったってことじゃん!」とはなりますが、入部していなかったら話すことなく本当に暗い学生生活だったかもしれない、けれども、今の大人の視点からだと「孤独でも良かった!」となるし…でもそのように断定できないわけで…うぅ~ん… どちらかの選んだとしても「片方の道にしとけば…」と、悔やんでいたかもしれませんね…笑 そんなこと壇蜜さんが言ってたなぁ…
まぁ、あまり深く考えないようにしよう
次もまだ高校生編です。高1後半~スタートしよう。ここで、私は異性に対して失礼なことをしてしまったり、クラス内で「こいつアホや」と思われる行動をしてしまいます。山〇、晩春の大失態祭りですね。
結果を嘆かず、反省して今自分が持っているもので戦おう、喪女。