無能の喪女―平成無職惰性譚―中学校編②
何年か前に流行した花粉症に効く飲む乳酸菌飲料「L-92 」を飲み始めたものの
「これってすぐに効果でないから何か月か前に飲むやつだ…」と気づき結局花粉に悩まされる喪女です。花粉もすごいですが、アトピー(軽度)やらダニもすごいので
時期によってアレルギー反応が出るんですよね。
春は花粉により鼻水が止まらず、夏は汗でかゆみが出て、
秋も花粉で鼻水がでて、冬は乾燥肌で顔の一部が荒れる。
風景以外でも四季をかんじることができます。……せめて夏と冬どうにかしたい…
さて、今回も振り返っていきましょう。
①楽しい?楽しい??イラストレーション部
ハンドボールを辞めて美術部は名ばかりのイラストレーション部に入部しました。
好きなことばっかり、謎のノリになったりして放課後は毎日楽しい時はありました。
今思うと、私は何故こんなにいじられるんだろう…とか思っていたのですが
今が楽しければいいし、ここしか居場所がなかったのでもやもやとしながらも
毎日を過ごしました。学校とかっていかに自分の居場所を確保できるか重要に
なりますよね…
②どこかおかしい私の人への接し方
私は学生時代の大半を「特定の子」としか関係を作っていなかったので
他人から見たら変な接し方をしていたと思います。
転ちゃんとは相変わらず仲良かったので、ずっとくっついていました。私きもいね。
「特定の子」が誰かといると会話に入れるのですがいなくなると途端に黙ります。
愛想笑いとかするんですが、積極的に参加はしなかったんですね。
なので、一人になる瞬間が一番怖かったですね。どう振る舞えばいいのか
多分、いつものテンションで行けばみんな引くのわかるので…
共通の話題がないと全く会話しない嫌な女でした。
基本誰かとくっついていてることで強くなった気がしていました。
③勉強を適当にながす
美術部に入ってからイラストを描いたりPCをしたりと散々でした。
勉強は平均より上だったので良かったのですが…。ここで安心したのが
大失敗ですね。楽しながら努力することを覚えてしまいましたね。
勉強法も工夫無くひたすら暗記したり、まとめ直してみたり、手間がかかる
作業ばかり行いました。効率を考えていなかったんですね…。次第に
勉強が面倒だ、苦痛だと思うようになりほどほど遊びを入れながら努力をする
ようなり、結果が微妙でも「まぁ、遊んでたし」と無理矢理正当化していった
そのような気がします…。普通より少し上で満足してしまいましたね…。
やるなら徹底してやるべきでしたね…。
今回は、共通性はありませんが
特徴としてのダメな自分を肯定する。ではなく、
無駄のある自分を肯定してしまったことで自己管理能力が欠けて諦め癖がつきました。
これは、あと数年で迎える受験戦争に対して勉強以前に大事なことだと大人になって気づきました。
そして、良くも悪くも人と同化している自分で、「周囲の期待に添ったキャラ」が出来たのではないかと思います...。自分が耐えればいいんだ、と思っていました。
あ、ふと今思い出したことが1つありました。小学校の頃、唯一私が友達に対して本音を伝えたことがありました。
昔、転ちゃんが私の事を好きか嫌いか聞かれたことがありまして。
私は、ここで嘘をつくのは良くないと思い正直に「あまり好きでない」と答えたところ
泣いてしまい、お母さまが何故か私を説得して「今後も仲良くして」と言われたことがありました。「相手が不快にならないことをしていたのに転ちゃんは私に嫌なことをし、 私が不快な思いをしているのに「何故私が?」」って思いました。母親まで使って卑怯だなとつくづく思いました。
……私だけですかね、こんな感情を抱いて小中学校過ごしているのって…悲しすぎる。
実は意外と勉強もスポーツも出来るあの子、悩んでなさそうなあの子も実は何かしら思いながら学生生活を過ごしていたのかなぁ…
人間関係って本当に複雑ですね。