空箱を積み重ねて

読んでも特に利益に繋がりません。普通って大変。

馬しかは動かない方がいい。自分の為であっても。百害あって一利なし。

出来ればいい報告を持ってこのブログを開きたかった。

今の仕事についてから約1年経つけけれども私のやっている仕事は

本当に役に立つのか分からなくなってきた。

むしろ、私が動く事で損害が発生するとまで思えてきてしまう。

こちら側は自分の為の月17万円が入ればいいのかもしれないが

相手はその何十倍ものお金を払い続ける事になる。

相手は私達より稼いでいるし、そのために今まで努力をし続けてるはず

一方でこちら側は何か努力をしたのか。資格の勉強、周辺知識を勉強して

少しでも利益を与えたのか?

私はバカで出来損ないだ。動くと迷惑が掛かる。

お金は生活に困らないくらいで大丈夫。だから

・・・私が厳しすぎるだけなのだろうか…

 

「できないことを言い訳にするな」「資本主義だから」「発達障〇者」

と言われてもいい。

自分にとって本当にいい仕事って何だろう。

 

自分は何がしたいんだろう。

 

でも、悔しいし、腹立つから「本来の職業人」としての結果を出してやる。

弱みに付け込んだり、人を消耗品みたいに扱ったりしたくない。

人に対してそういう風に扱ってきた人は同じことされて損受けても同情はしない。

めげずに頑張ろう。耐えよう。学びつづけよう。

 

 

気づけば半年、きもちの波が収まらない。

何となく気持ちが向いたので書いてみました。突拍子もなく計画性のない投稿。

明日も仕事があるの知ってるのに夜更かししてしまう癖、治らないね。

好きな音楽を耳に垂れ流す習慣も相変わらず。

最近の喪女はというと窮地に追い込まれたり、逃げ切れたり。

自分の無能さにまた改めて感じたりして、努力し続けようと思っていたのですが、

どことなく「努力しても他の人より結果が出ない」「圧倒的学習能力の低さ」

を冬の始まる秋風と共にひしひしと感じていました。

今思うと勉強しようと思っても目の前の楽しみに流され続けた四半世紀でした。

こんな風に毎日を送り続けていたら身に付くものも身に付きませんよね。

でも、もういいんじゃないかと諦めている自分がいます。

あぁ、なんかもう雑に生きていこう。

全てにおいてもう取り返しが付かないんじゃないかと思える最近。

普通のことが出来ない時点で普通じゃない。だから気づいて対策をとった。

つもりだったけど、なんかもう面倒になってきた。

 

悔しさを感じると「惨め」になってすごく否定された気持ちになって

ますます努力しなくなるから

あまり悔しいとか感情的にならないように受け流したのがダメだったのかな。

もう自分の良いところが見つからない。

至らない点が多すぎてどこから治していけばいいのか分からない。

私の周囲の人達はいい人すぎるからこんな私でも助けてしまう、

優しくしてしまう。申し訳ないから、頑張らないといけないと思っているが

もう何もかもどうでもよくなってしまう。自分の気持ちを整えたい。

 

最近たるんできたわね。

更新頻度も以前に比べ落ちてきたのでここは意地でも書かないとと謎の意地を張り何とか更新しました。このカテゴリーで書いていこうとしたのは最近たるんできている自分がいたので、もう一度初心に戻るきっかけを作ると同時に、正直同じカテゴリーばかりで飽きが出てきたからです。

 

さて、この2,3カ月の間、喪女が仕事を通じで感じた事や他の人から言われて驚いたことを書いて、たるみを締めたり、鼓舞したりしようかと思います。

 

最近の喪女は社会の歯車として日々努力をしたり、油断したりの毎日をすごしたなぁ。と思います。

仕事の観点からは、やはり皆さん優秀なので業務の成績やら評価がいいので「あぁ、私も頑張らないとなぁ。」と思わせてくれることが多いです。さらに、結果が出る人は陰ながら努力しているんだなぁと実感しました。皆以前に比べ口数も少なくなったのは自分の抱えている仕事からくるプレッシャーからくるんですね…かといって喪女もしていないわけではないのですが、結果に繋がらないと意味ないんですよね。厳しい現実!

喪女の仕事の悪い癖も分かりました。優先順位をつけられたとしても、実行できなかったり効率ばかりを重視して実行しないのもいけないんですね…。複雑に考えないでと上の方から言われてしまいましたからね…とりあえずある程度固まったら作業に当たれ‼当たれ‼でいくしかないんですね。しかしながら、その行動でミスをしたら怖いので取り組む前にどうも悩んでしまうんですよね… 負の連鎖!

多分何かしらミスやうまくいかない時は「何かが間違っている」「おかしい」と感じたらすぐに立ち止まったり聞いたりしないといけないんですね…           多分良い「甘え」ではないでしょうか…

 

後、驚いたのが「根詰めすぎてないか?」と言われたことです。正直「えっ!?」と思いました。やっぱり何かしらのストレスで焦りが出てしまうんですかね… 

比較的ゆる~くやっていたので業務?に関するストレスは無かったのですが、

恐らく「周囲に比べ結果が出ていない」というストレスが大きいなと思います。後、今は指導をして下さる方がいるので大丈夫なのですが結局は「一人でできる」レベルまで早くなりたい。という気持ちから焦りが出てくるのだと感じました。

ゆとりを持ってやろうとした結果上の方からやや喝を入れられてしまったのですが…

あまり人のことは気にせず頑張りましょう…ね…

気持ちにゆとりを 結果を出すために行動‼そして勉強‼

 

まぁ、こんな感じで緩くも厳しい梅雨時を過ごしました。

7月は動く事を重点的に置いて頑張ろうと思います。

あ、最近室内でも屋内でも熱中症にかかる危険があるみたいですね。(室内はまだ先の時期かな…)体調にも気にかけて…

体調管理のできる結果も出せる喪女に切り替えられたらいいなと思いました。

 

出来る女への道は険しいのよ、喪女。

無能の喪女―平成無職惰性譚―高校生編④

危うく1カ月放置しかけるところでした。放置したとこで困る人などいませんが

「仕事をしながら何かを続けている自分」を残し続けたいという願望があります。

評価されなくても分かる人に分かって伝わる人に何か感じてもらえれば十分です。

 

さて最近の喪女は相変わらず仕事に関する勉強を行っており、正直知識もあやふやなまま現場へ駆り出されます。現場に行く前の挨拶練習、ロープレをしたのですがまぁボロッボロで正直不安しかありません。台本読むだけであんなに緊張するなんて…

大学の頃はカンペも読まずに英語でプレゼンしてたのに情けないなぁ…と感じました。過去のできたことに固執せずありのままを受け入れてあまり人と比較しないで頑張ろう。

  「私は期待されていない!!勝手にプレッシャーを感じなくていいんだ!!」

それくらいの気持ちでいきましょう。あ、でもやる事はやらないといけないよ。

 

さて、今回は高校生1年生後半について書いていこうかなと思います。

ありがたいことに女子からの無視も減り、相変わらずイケイケ女子たちとの差はありましたが数少ない波長が合う友達と一緒にいれたので穏やかな日々を過ごして1年目を終えました。

そんな日々の中で私が鮮明に覚えていること、友人が鮮明に覚えていることを書いていこうかと思います。

 

①異性との久々の交流

 高校で初めてできた友達の嬢ちゃんと部活、クラスが同じA容姿ちゃんと普段から接

 するようになり、A容姿ちゃんの委員会の手伝いの関係で異性と交流し、仲間意識が

 芽生え放課後遊びに行くようになります。この時点で私は異性と遊ぶのが3年ぶりく

 らいなんですよ笑 中学校の時は運動部至上主義だと思い込んでいた(実際その雰囲

 気もありました)こともあり、美術部の同性としか遊んでこなかったので… 

 遊ぶと趣味やノリも合ったのでますます仲良くなりました。しかし、「いつもいるの

 が当たり前」だと思っていた私は「遊びは絶対参加」という謎の強制ルールを設けて

 いました。大人になって分かるのですが、「相手の都合を考える」という事が出来て

 なかったんですよ。なので、断ると相手にヒドイ言葉をかけていることもありまし

 た。当時はA容姿ちゃんもなかなか重い子だったので私の強制ルールにはやや賛同し

 ていたので、男子は少しずつ離れていきました。嬢ちゃんは特に気にしてない様子で

 した。ひどいことを言ってしまったある男の子には申し訳ないと思います。ごめん。

 

②携帯電話で恥をかく

 高校進学と同時に携帯電話を持ち始めた私は中々操作方法を覚えられずにいました。

 基本操作はできるのですが唯一「サイレントモード」の設定方法が理解できず、授業

 中はマナーモードにしており、時々響くバイブレーションに怯えました。また、携帯

 を目覚まし時計代わりに使っていたのもあり授業前には必ずマナーモードに設定して

 いました。そんな中、ついにマナーモードにし忘れてしまい勉強用に設定していたお

 昼ごろのアラームが鳴ってしまいました。そのアラーム音はマヨネーズで有名な某曲

 という事もあり何となく自分の嗜好がばれるし、鳴らしてはいけない状況でなってし

 まったという失態を晒し大変恥ずかしい思いをしました。担任の先生の授業という事

 もあり、ホームルームが気まずかったのを覚えいます。このことを友人は今でも覚え

 ており、クラスのほとんどが笑っていたそうです。まぁ、楽しそうならいいか。

 …電源切っておけばいいのに!!!

 

 

今回は、大人になったら「あぁ。こうしておけば…」と思うようなことばかりでした。

携帯も失態を晒したことで私は試験やら公の場やら大学の授業前には必ず形態の電源を切る癖が身に付きました。特に、異性との交流で「私以外私じゃない」という事を後数年後に言葉でなく、行動や態度に示して理解すことが出来ました。

 昔出来なかったことが今分かるようになるのって大分時間がかかるものなんですね。

早く気付けないのもまた仕方ないことなわけで…

人間ってこうして大人になるんですね(適当)。

 

次回は高校生活2年生に移りたいと思います。2年生はやたら人からいじられることが多くなったりキラキラ女子との交流や「こうありたい」と思っていたことがちょいちょい実現したりしたなぁ…相変わらずあほな所は抜けていませんが。

 

変わらないところも持って成長していくことって多分素敵なんだよ。喪女。

 

 

 

無能の喪女―平成無職惰性譚―高校編③

「平成最後商戦」が終わり令和を迎え、気持ちの高まりや感動も全くありません。けれども何かに対して、100円ジッポぐらいですはありますが闘志に火が着いたような気がする喪女です。この火はどこまで燃え続ける事ができるか不安ですが… 

 

高校1年生の頃、中途半端なちょっかいやら無視のせいで(これが原因だと断定できませんが)精神的にもやや不安定で将来の事なんて微塵も考えていませんでした。「気の合う人といること」「スクールカーストの底辺から逃げる」ことが最優先順位となり、「今を楽しく生きたい」と強く願い、私の本当の高校生活が始まったような気がしました。

 

①部活動選び

 ①-1.高校一年生

  私は、中学校生活から「運動部ならばカースト底辺は逃げられる」と考えていまし

  た。運動部も色々ありましたがどこもしっくりこない上に、中学校から所属してる

  子ばかりなので初心者の私はとても入れるような環境ではありませんでした。

  しかし、同じクラスの女の子の(以下:A容姿ちゃん)お陰で無事、運動部に

  入部することが出来ました。また、同じクラスで私と初心者で入った女の子

  (以下:メガネちゃん)もいたので気軽に入部しました。二人ともいい子で

  真面目でいい意味で不器用な子だったのでどことなく似た者同士で話が通じ合い

  打ち解けることが出来ました。けれども、運動部の備品、遠征費等の両親への

  金銭的負担がありました。しかし、クラスで無視されていることを母に伝えていた

  こと、私の「やってみたい」という気持ちを尊重し、入部する事を渋々許してくれ

  ました。

  事情を知らずに私は部活動に取り組みました。やや男子の方が権力が強い傾向のあ

  る部でしたね。休憩の間にダッシュでお茶を先輩方に渡したり、夏場の練習中

  「あ、これ倒れる。」と自己判断・申告をし、少し休んでいたらかなり怒鳴られ

  たりと嫌なこと、辛いことがありましたが2人がいてくれたので乗り切れました。

  いつもいてくれる人って本当にありがたい…

 

②流れが変わったような…

 運動部に入部した後、嬢ちゃんと勉強やくだらない話をして過ごしました。

 A容姿ちゃんとメガネちゃんは別グループに属していたのでどことなくクラスで話す

 ことは少ししかありませんでした。放課後は部活ではA容姿ちゃんとメガネちゃんと

 話すことが多くなりました。特にメガネちゃんとはアニメ、漫画で趣味の話がよく合

 いかなり仲良くなりました。徐々に私と嬢ちゃんが話している所にA容姿ちゃんや

 メガネちゃんが来たり、ボッチ飯になりかけると助けてもらったり、助けたりする

 ようになりました。メガネちゃん、嬢ちゃんの友人を紹介してもらったり、

 紹介したりで友人の輪が広がりました。部活も帰宅部で趣味に没頭している子や

 全国大会に出場するくらいの運動部に所属している子や他のクラスの事も仲良く

 なれました。やそれと同時に人の噂も七十五日効果?それよりも友のお陰で心が強く

 なったのか以前まで感じていたクラスメイトからの嫌な視線や疎外感を気にしなく

 なりました。いい意味で本当のカースト上位の人達を気にせず伸び伸びとできたので

 は?と思っています。

 

 

今日はここまでにしておきましょう。GWだからって夜更かしは厳禁ですね。

クラス内事情から、「スクールカースト」を意識しすぎて、「この状況を抜け出す」ことにだけ専念していました。しかし、よく冷静になれば文化部でも運動部の人と平気に接している子がいて、背景に「進学してきた人達同士」か単純に「気が合う合わないか」だけなんですよね。そう考えると私は数少ない気が合う人達と部活の垣根を越えて偶然巡り合えたんですよね。そのお陰か、キラキラカーストにはない面白い考えを持った子や自分がわざわざ偽る必要のない人間関係を築けていたんですよ。これが高校生活の唯一の成功かもしれません。

  

そして、部活事情。大人になり母と話していくうちに分かったことですが、先生や母は私が運動部に入部する事をあまりよく思っていなかったのです。これには驚きました。

やっぱり、精神的に参るとまともな判断ができないなぁ…

こう書くと「部活動入ったの失敗だったってことじゃん!」とはなりますが、入部していなかったら話すことなく本当に暗い学生生活だったかもしれない、けれども、今の大人の視点からだと「孤独でも良かった!」となるし…でもそのように断定できないわけで…うぅ~ん… どちらかの選んだとしても「片方の道にしとけば…」と、悔やんでいたかもしれませんね…笑             そんなこと壇蜜さんが言ってたなぁ…

まぁ、あまり深く考えないようにしよう   

 

次もまだ高校生編です。高1後半~スタートしよう。ここで、私は異性に対して失礼なことをしてしまったり、クラス内で「こいつアホや」と思われる行動をしてしまいます。山〇、晩春の大失態祭りですね。

 

 

結果を嘆かず、反省して今自分が持っているもので戦おう、喪女。

平成最後の悪あがきとそれこれ

本日、喪女はとある試験を受けてきました。

結果は、合格だったのですが幾つか心残りがあり素直に喜ぶことが出来なかったのです。喪女は確かに合格はしたのですが、周囲の皆さんに比べ点数が悪いんです。

 

 

何より、皆さんより時間に余裕があったので勉強したにも関わらず点数が悪かったというのがあります。

皆さんがどのくらい勉強したかなんてわかりませんがかなりショックです…

平成最後だし、ぱぁーッと華々しい結果を残したかったなぁ…

「勉強の仕方が悪かった」?「意識が低かった」?「自頭が悪かった」?

色々と原因が浮かんできます。

何より「同じところで間違える」のが痛いですね笑 社会経験を通じて分かってきた大きな課題です。  ってことは自頭かな?

あぁ、嫌になっちゃうなぁ。これ以上どこを頑張ればいいのか分からない。

お手上げだぁ。でも、優秀じゃないから優秀じゃないなりにできる限り頑張るしかないか。自分が壊れない程度に頑張ろう。逆に「周りが優秀だからこそ助けてもらおう!」

「勉強させてもらおう!!」ぐらいでいこうかな。あ、きちんとお返しはしないとね。

 

どんなに惨めな姿を晒しても努力する。ことにしたので、ここで一方的に負の感情を吐き出して気持ちを改めてまた前に進もうと思います。

無能の喪女―平成無職惰性譚—高校編②

最近、温かい日が続いて気分も明るくなります。地元の駅には入園、入学、入社式へ行くであろう人たちをよく見かけ、「あぁ、また1つ何かを登ったな…」と感じます。

 

ここのところ、喪女はとある分野の勉強をしています。今まで正直言ってしまうと興味のない分野ではあります。しかし、とても優秀な勉強仲間と一緒に勉強しているので正直成績が悪いのあからさまに分かる瞬間があり「なんとか振り落とされたくない」「追いついていかないと」とプレッシャーのもとなんとか勉強しています。そして、以前の生活に比べると気分が前向きに、明るくなったと感じています。相変わらず惨めな姿をさらしていますが喪女史の中で比較的頑張っていることで日々の充実と実感しています。

 

今回も昔のことを振り返ろうかと思います。本当は私の人生のきっかけである「部活動」について書こうと思いましたが、かなり長くなると思うので学生生活を中心に書いていこうと思います。

 

①眠りの小五郎

 高校の時授業ではほとんど寝ており、特に興味のない科目になると徹底的に寝てい

 ました。まず、ひどい眠気に襲われます。眠いけど起きないといけない時は、落書き

 をしながらノートを取っていました。それでも一番ひどい時は授業開始10分ほどで寝

 てしまうこともありました。相当ひどいですね。睡眠不足なのか、中学校の時の授業

 環境とは違うのか地味にストレスや緊張があったのかもしれません…。それでも何と

 か食らいついていました。成績は5段階中3~4と恐らく平均的でした。当時の私はこ

 の成績で満足していたんですよ。 

     そして、先生方授業中に寝てしまって本当に申し訳ございません…

 

②本当は…

 初めての電車通学という事で、女子ちゃんは一緒に通学しようと言ってくれました。

 誘ってくれるのは大変嬉しのですが正直通学は一人が良かったんです…

 理由として、今後お話しする予定ですが部活に入部すること勉強時間が取れにくくな

 るので、片道30分~50分の通学時間は私にとって貴重な勉強時間だったのです。

 さらに言ってしまえば、私の会話力がないので「無言の時間が苦しい」というのもあ

 ります。後、遅刻してしまった時、連絡を入れないといけないのもしんどいですし…

 テストが近くなるとわざと時間をずらして通学をして勉強をしていました。

 こう見ると、意外と勉強熱心だったんですね。私。笑

 

③あ、やっぱり…

 田舎出身の私は周囲の女子の身なりや所持品について違和感を感じていました。

 一個1000円以上するであろうキーホルダー、ハイブランドの財布を持つ子を見か

 けました。そこで気づいたのですが「金持ちが多い学校」に入学していたんですよ。

 後は、女子トイレに行けばヘアアイロンで髪の毛を直していたり、化粧直しをしたり

 と私は今までにない光景を目の当たりにし、「こ、これがカースト上位女子…」と圧

 倒されていました。それと同時に、自身が「女性」である意識が全くないことに気づ

 いていませんでした。

 特に疑問だったのは女子トイレで歯磨きをしている子がいたのですが、それを見て

 「汚い」と言っている女子軍団がいました。これに対して私は「え?汚いの?歯を

 磨かないで表に出てる方が汚いと思うんだけどなぁ…」なんて思っていました。

 社会人に成った今、歯磨きをしていた女の子の事思い出している人いるのかなぁ…

 

④なぜか委員会に立候補

 正直、何故挙げてしまったの曖昧ですが、ただ「風紀委員」という文字がかっこい!

 と友達作りの目的もありましたね。後、なかなか決まらないから手を挙げたっていう

 のもありました。いまだに覚えているのが、任侠風な男の子から「決まらないから手

 を挙げたの?」っと聞かれ、当時女子からの無視もあって人と話すのが怖かった私は

 「フ、フヘヘ…」なんて曖昧な気持ち悪い返答をしたような気がします笑 実際真面

 目にやったものの、友達はできずそんなに活動もしなかったので委員会活動に入るの

 は止めました。もしかするとさぼっていたのかも…笑     えぇい!このくずぅ!!

 

今日はこんな感じですね。高校1年生の頃覚えていることを書いてみて、無視されても表に出ようとする精神力があったことに驚きました。後、神経図太さ笑

それと同時に、ふと思ったのが私自身の些細な言動が実は周囲にとっては厭味ったらしい、嫌なことをされる原因の引き金だったりするのかなと思いました。そう思うと恥ずかしいですね…

どんよりとした感じでは無く恥ずかしい気持ちを残したまま今日はここで終わろうかと思います…。

 

青春時代は少ししょっぱい位の方がいいんだよ、喪女