無能の喪女―平成無職惰性譚―小学校編③
一般的な方から見ると大分遅い時間時間は遅いのですが
昨日は早く寝れました。一時間の読書がなければもっと早かった…。
最近、驚いた事はパソコンの前にいるだけなのによく眠ることですね。パソコンって人体に悪そうなもの生み出してますからね笑それが原因かな。
後、せっかくだし読書感想文も書いていこうかな。良いものは共有していこう。
前置き?が長くなりましたが、小学校編3,4年生頃を書いていきます。
1,2年生の頃は同じ先生が継続して担当していましたが、3年生で1回4年生で1回の計2回程変わりました。学年が上がると同時に、ヤンキーではないのですがやんちゃボーイ、ガール達がめきめきと頭角を表し、毎月何か問題をが起こしてたなぁと思い出しました。…今思うと先生方は大変だったと思います。
私もそんな狂った状況に流されていた気がします。あぁ、ひどい。
人間って自分の都合の悪い記憶を忘れる傾向があるんですかね。
子供の頃は注意だけでは済む事って実際、された人にとっては後々生きていく中で
トラウマになったり、人間不信のきっかけだったりしますよね。
いい方向に向くこともあると思いますが、そこは申し訳ないのですがご本人の考えようですよね…
自分が知らないまま相手を傷つける事ってたくさんありますよね。恐ろしい…
話が大分それたのでそろそろ、振り返りまーす。
①英語教室に通う、ピアノの発表会に参加する
これも兄の影響ですね。兄が英語スクールに通っていたので私も
やってみたい!っといった感じですかね。私は自営の英会話教室
で勉強しました。そこで、英語も学びました。転校生の子も一緒にやってました。
その子は逆に私に倣ってピアノ、英語をやったそうです。
…‼‼ここまで好きなことを振り返ってぞっとした事実に気づきました。
今までやってきた多くの趣味や習い事って倣っているという点もそうですが、
「楽しいぃっ!!」って感情なく淡々とこなしているような気がします。
それと同時に、気づいたら週一にピアノ、週1,2英語だったかな
そこそこ予定のある小学生で、それをひたすらこなす。サラリーマンかな?
そりゃ、心無くすわな。
でも、淡々とやっていてもピアノは年一で発表会を行っていました。
発表会の雰囲気は形式ばっておらずかなりフランクでした。
もし、ピアノの技術がこの年齢でも参加できるのなら 平成最強のヒットソング
「女〇しくて」を鬼龍院さんコスして熱唱したいですね。
こういった練習の成果を公の場で発表できる場があったのでとても貴重な
経験をさせてもらっていたのだと思いました。あ、あと私のイラストが
発表会のしおり?に使わせてもらった事とかありましたね…
結構楽器や絵を使って自分を表現するのが好きだったんですね。
②うさぎを飼いはじめる
転校生の子が犬を飼っていたのでまたまた私は倣って、「動物が欲しい!」と思い
うさぎを飼い始めました。あえて犬ではなかったのは
小学校でうさぎを飼っていて見るのがすごい好きだったんですよね。
可愛らしい、コスト良し(最低)、うるさくない上に
父も飼っていた経験があったのでミニうさぎの男の子を飼いました。
当時、転校生の子の事があまり好きでないのによく遊んでおり(最低なガキだ)、
その子の飼っている犬の扱いが悪い意味ですごかったので
「この子に渡したらあかん。うちのうさぎを守ろう」と思い
黙っていました。まぁ、何となく嘘をついているの気がしてしまい
話してしまったんですけど、うさぎは守りましたよ笑
正直者なのかひねくれ者なのか…でも、一筋縄ではいかない嫌な子供
だったんじゃないかなぁ…
このうさぎは高校の修学旅行中に亡くなってしまいました。
約8年間生きてくれました。
去勢して恋愛させてあげれば良かったなぁ何て心残りがあります。
③我が家にパソコンが来る
でましたね。新しい時代の幕開けを感じさせた人類最大発明品であり
私と共に今後の一生を付き合い、最大の誘惑の根源であり最高の時間潰しと
至福の時間を最速で提供してくれる道具……君の名は…「パ ソ コ ン」
当時FLASHムービーとか流行っていて狂ったように見漁っていました。面白いし。
中学校のテスト勉強もこれのせいであまりやらなかったなぁ。
この時から誘惑を断ち切れない人だったんですね。メリハリつけろよぉ
今思えば、私と同じくらいの学力の子がいつの間にか私を抜かしていたことが
ありました。なんでだろうと思ってはいたました。
今ならわかります、当たり前の事なんですが、
学校内で同じ年代で頭いい子ってPC依存してないですし
私がPCで時間を潰している間に正直に好きなことや勉強をきちんとやってる
子だったんですね。継続と断絶は大事。今まで「っへ習慣なんて」
とか思っていましたが、この記事を書いて改めて感じました。
④初メガネ、親がメガネを作り変える度目に涙を浮かべていた気がする。
PCをやっていればいずれか視力なんてずるずる落ちる訳ですよ。
メガネを学校でかけることがものすごく嫌で、恥ずかしかったんですね
ノートを書くときものかなり俯いて書いていて、黒板を見るときは両手で
メガネを治す風にして両サイドからメガネが見えないようにしていました。
無駄に自意識過剰で気にしな奴でした。でも友人がいると何でもできるような
錯覚に陥っていました。典型的なダメな奴やないかぁ…
何より、目がどんどん悪くなるとメガネを作り替えるんですよ、
視力が0.3あるかないかと、言われたときに私は流石にショックでしたが
母は涙目になっているような気がしました。母が泣くのは
「メガネ代の支払いが 高くてがショックなんだ…」
なんて考えていました。多分違いますよね。
泣いていたこと母に今を聞いてみても忘れたと言っていました、
まぁ、大分昔ですから覚えていなくても理解できますが、本当に忘れたのかなぁ…
普通ここでパソコンを辞めるべきだったんですが、幸福をクリックボタンで
簡単に得られるのでそう簡単に辞めなかったんですね。
今もこうしてやってますからね
両親は異常なまでの厳しさはなく、期待とか願望を子に押し付けるような
ことはしなかったので、パソコン中毒でも点数も平均以上を取り続けたせいか
注意するだけで激怒までしなかった記憶があります。
ここで、私がきちんと止めて別の事に目を向けていれば…なんて思っても
ここまで来てしまったので仕方ありませんね。本当にダメなやつ。
総括として、流された果てに自分が思う「楽しい」が分からない…
人との繋がりでも十分に楽しかったのですがどこか不満などで自分を殺していた
ような気がします。それを断れなかった、絶てなかった自分にも責任はあります。
断ち切ることがなかったから無職になっても白い眼をしないで飲みに誘ってくれる友達がいます。ありがたいです。でも今は、酷いかもしれませんが友の飲み会より自分のことを優先します。
仕事の悩みを解決しない限り私の平穏はほぼ無いですからね。仕事っていうより
自身欠陥性が引き起こしているんですけどね。
最近、日中暖かくなりましたが、私の心は黒いモヤに覆われてます。
でも、このモヤを払いながら日々生きていくしかありませんね。
働きながら自分の生活を充実させていくことは想像しているよりも
大変だと改めて感じます。