空箱を積み重ねて

読んでも特に利益に繋がりません。普通って大変。

無能の喪女―平成無職惰性譚―小学校編①

今日は10時に起きることなく、8時に起き勉強ができたので大変上機嫌です。

朝一で開けて窓から見える景色はどんよりとした曇り空でしたが、

やる気上々さらに気分(喪)上々なんでもいけそうな気がする喪女です。

 

昨日の記事に続き、自身の過去を振り返ってみましょう。

小学校は6年間もあるので2年ずつ、好きなモノ・コトと人間関係

で分けて書いていこうかなと思います。可能な限り思い出していきます。

 

小学校1~2年

①好きなものがオタク寄り

 ゲーム見るの、するのも大好きでした。

  アクションゲームのクラッシュバンディクーは最高でした。ほぼ全シリーズ

  揃えてましたね。

②アニメも女児向けも好きでしたが、男児向けのアニメも大好きでした。

  おジャ魔女からプリキュアに変わったのも子の頃かな?NARUTOも始まった?

  ファンタジー志向もここから始まったのかな…お嬢ちゃんその道は危ないぞ…

  そういえばこの時点で絵も風景画、生物画より

  イラスト、漫画よりの絵を描いていた気がする…アニメの影響か。

 ③ハロプロが好きでよっしーになりたかった時期 

  茶髪でちょっとヤンキーっぽい、けど元のお顔が美しい方だったので

  新しい可愛いジャンルを開拓してくれた方ですね。

  番組で新メンバー募集をしていたので応募しようと

  テレビ画面に出る電話番号、住所を書き写そうとしましたが、

  まぁ、無理ですよね笑 小学生にそんな能力ないですし…しかし、

  親に「モー娘。なりたい!」って言うもの恥ずかしく諦めてしまいましたね…

④ピアノを始める

  兄がやっている姿を見て私もやりたいと言っていたそうな。多分、

  やりたい事なんてないからまわりから見て面白そうなものをやってみる

  好奇心は強い子だったのかもしれませんね… 人に倣っていますが…

⑤水泳を始める

  これは何故始めた分かりません。多分体験スクールがたまたまあって、

  友達が行ってみようかと言っていたからかな…?

  この時やってなかったら多分泳げていなかったかもしれない…

⑥家族行事

 旅行やお花見したりバーベキューしたりブドウ狩りへ行ったりしました。

 特に母が外出大好きだったのでしたね。父は夜勤もあるお仕事をしていたので

 疲れていても休みを合わせて行事を行ってくれました。ありがたいことに

 旅行以外は車や徒歩圏内で収まるので頻繁に行ってましたね…意外に

 フットワークが軽いっていうのもありますね。

 あいつが来るまでは…

 

一旦ここまでにしておくと結構好きなことって兄や友人などの

周囲の人やっていることに興味を持つ傾向があったんですね。

でも、昔は皆そういうこが多いほうかもしれませんね。

この記事だけ見ていると、とても明るくて活発的なイメージが我ながらありますね。

「小学校では明るいキャラだったんじゃないの?」

なんて言われたい女子でしたが、人間関係のトラブルが多くて

この時から人との関わり方が分らなかったり、どこか狭さを感じていました。

なんか、関わる人によって胸のざわめきが止まらなかったり、暗いモヤッとしたものが

常にありました。それはまた別に書きましょうかね。

 

 

今日は文字をそんなに書いていませんが時間がるとき発信して何年後見たときの

黒歴史兼戒め兼自分の道しるべになればいいなと思います。